続・私の気ままな研究奮闘記
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スウェットロッジとセイジ
三月、四月、トュールリヴァー保留地では、親類が一同に会するファミリーギャザリングや、
パウワウ(お祭り)が行われる季節です。
残念ながら、私はもうそろそろ一か月の滞在を終え、帰国の時期が近づいてきていますので参加できません。
しかし、「準備を手伝え」と言われたので、色々と働いています。
スウェットロッジは、1970年代のニューエイジ文化の産物であり、
「インディアン自身による伝統の創造だ」と一括りに言い切る人がいますが、
私はそうは思いませんね。
確かに、20世紀初頭までの同化政策期に、
先住民、特にカリフォルニアの先住民の秘儀の多くが禁止され、その伝統が失われていきました。
といっても、ひそかに続けられていたものも多くあります。
一方で、連邦政府のエージェントに見つかれば、罰則が与えられることもありました。
実際、トュールリヴァー保留地のエルダーによれば、20年代から60年代くらいまでの時期、
多くのインディアンが儀式から離れていたらしいです。
この間は、やはり、第二次世界大戦や、朝鮮戦争に出兵した保留地の男性も多く、
先住民保留地といえども「国粋主義」の色が濃かったのかもしれません。
なので、彼らは、スウェットロッジやパウワウなどの儀式を作り出したのではありません。
それ以後、60年代、70年代に、再開」したのです。
これはあまり知られていないことだと思いますが、
儀式一つをとっても、部族を超えた先住民間のつながりは盛んだったらしいですね。
例えばスウェットロッジの儀式は、
ラコタ(サウスダコタ州)や、パイユート(ネバダ州)などの部族がカリフォルニアに来て、
「お互いの様式」を披露しあったり、教え合ったり。。。。
そんな交流も行われてきました。
今、エルダーに聞くと、
「あ、これは、昔ラコタの人々から教わったことなんだけどね。。」
なんていう、儀式の話を教えてくれます。
教科書には、「~族の秘儀」なんて書いてありますが、
そもそも、我々が思う以上に、部族の境界を越えた文化交流は昔から盛んであったわけですね。
それにしても、スウェットロッジなどの儀式で必ず使われるのが、「セイジ」という草。
それを束ね、乾燥させて、smudging(お香を焚くような行為)に用い、悪いスピリットを追いやり、神聖なスピリットを呼び込むといった行為が行われます。
今回このセイジを、
保留地からはるばる、サンディエゴ近くのとある生息地まで取りにいくことに。
保留地からはざっと4時間ほどかかります。
カリフォルニアやアリゾナあたりのハイウェイを運転すると、
山のように生息しているセイジと同種ですが、
それとは異なるのものを用います。
セイジならば、あちこちに生息しているので、「近くのハイウェイでとってくればいいじゃん」
と言ったこともあるのですが、ダメだそう。
そんなセイジは匂いと効用がだめ。マリファナのに匂いがするのだそうです。
カリフォルニアでは、その特別なセイジがとれるのはこの丘。
近辺のすべてのインディアンがここの丘にとりにくています。
その名も「Sage Hill」

「Kumi」
「何?」
「今度、セイジを採ってきてって言ったら、ここに来るんだよ。」
「普通は仕事があるから、無理だよ・・・」
なんて、話ながら、こんな風にして、一心に集める。
それを、翌日、世間話でもしながら、こうしてこつこつひもで結んで・・・・
最後に日干しにする、っと。
いつも、すでに作られているものしか目にしなかったので、実際に作ってみると大変。
ちなみに、セイジには花粉のようなものがあってしばらくはくしゃみが止まらないし、
あの強烈な匂いが体にしみついて、数日はとれません。私はその匂いが好きですが。



パウワウ(お祭り)が行われる季節です。
残念ながら、私はもうそろそろ一か月の滞在を終え、帰国の時期が近づいてきていますので参加できません。
しかし、「準備を手伝え」と言われたので、色々と働いています。
スウェットロッジは、1970年代のニューエイジ文化の産物であり、
「インディアン自身による伝統の創造だ」と一括りに言い切る人がいますが、
私はそうは思いませんね。
確かに、20世紀初頭までの同化政策期に、
先住民、特にカリフォルニアの先住民の秘儀の多くが禁止され、その伝統が失われていきました。
といっても、ひそかに続けられていたものも多くあります。
一方で、連邦政府のエージェントに見つかれば、罰則が与えられることもありました。
実際、トュールリヴァー保留地のエルダーによれば、20年代から60年代くらいまでの時期、
多くのインディアンが儀式から離れていたらしいです。
この間は、やはり、第二次世界大戦や、朝鮮戦争に出兵した保留地の男性も多く、
先住民保留地といえども「国粋主義」の色が濃かったのかもしれません。
なので、彼らは、スウェットロッジやパウワウなどの儀式を作り出したのではありません。
それ以後、60年代、70年代に、再開」したのです。
これはあまり知られていないことだと思いますが、
儀式一つをとっても、部族を超えた先住民間のつながりは盛んだったらしいですね。
例えばスウェットロッジの儀式は、
ラコタ(サウスダコタ州)や、パイユート(ネバダ州)などの部族がカリフォルニアに来て、
「お互いの様式」を披露しあったり、教え合ったり。。。。
そんな交流も行われてきました。
今、エルダーに聞くと、
「あ、これは、昔ラコタの人々から教わったことなんだけどね。。」
なんていう、儀式の話を教えてくれます。
教科書には、「~族の秘儀」なんて書いてありますが、
そもそも、我々が思う以上に、部族の境界を越えた文化交流は昔から盛んであったわけですね。
それにしても、スウェットロッジなどの儀式で必ず使われるのが、「セイジ」という草。
それを束ね、乾燥させて、smudging(お香を焚くような行為)に用い、悪いスピリットを追いやり、神聖なスピリットを呼び込むといった行為が行われます。
今回このセイジを、
保留地からはるばる、サンディエゴ近くのとある生息地まで取りにいくことに。
保留地からはざっと4時間ほどかかります。
カリフォルニアやアリゾナあたりのハイウェイを運転すると、
山のように生息しているセイジと同種ですが、
それとは異なるのものを用います。
セイジならば、あちこちに生息しているので、「近くのハイウェイでとってくればいいじゃん」
と言ったこともあるのですが、ダメだそう。
そんなセイジは匂いと効用がだめ。マリファナのに匂いがするのだそうです。
カリフォルニアでは、その特別なセイジがとれるのはこの丘。
近辺のすべてのインディアンがここの丘にとりにくています。
その名も「Sage Hill」

「Kumi」
「何?」
「今度、セイジを採ってきてって言ったら、ここに来るんだよ。」
「普通は仕事があるから、無理だよ・・・」
なんて、話ながら、こんな風にして、一心に集める。
それを、翌日、世間話でもしながら、こうしてこつこつひもで結んで・・・・
最後に日干しにする、っと。
いつも、すでに作られているものしか目にしなかったので、実際に作ってみると大変。
ちなみに、セイジには花粉のようなものがあってしばらくはくしゃみが止まらないし、
あの強烈な匂いが体にしみついて、数日はとれません。私はその匂いが好きですが。



Dallas
滞在しているトュールリヴァーの保留地の友人宅に、馬がやってきました。
名前はDallas (ダラス)。テキサス州のDallasです。
毎朝、庭に出てDallasに食事をあげ、遊ぶのが日課です。
庭で飼っているので、窓からダラスの様子が見えます。
一日中気になって仕方がない。

家のデッキから。

それにしても、何か気づきませんか?
そう。彼は痩せすぎています。
前の飼い主のAbuse。
怠惰な飼い方が、彼に大変なストレスと摂食障害を与えたそうなのです。
その状態で、彼は数年耐えてきました。
何の縁からか、私が保留地に着いたと同時にもらわれてきたDallas。
私は、辛い時間を過ごしつつ、この保留地にもらわれてきた彼が、
何だか、とてつもなく愛しく感じられます。
そうして、彼は、短期間ではありますが、
この日本からのリサーチャーの愛情を一身に集めることに。
仲良くなって、いつか背中に乗せてもらいたいので、
暇を見てはリンゴをあげて、ご機嫌とりをしています。


ふふ。笑。おかしな顔。笑。
デッキで本を読んでいると寄ってくるのは、
決して私に心を開いているからではなく、
単にリンゴが欲しいからです。
かなり可愛い。
「いつか馬に乗って保留地を縦横無尽に駆け回る」
という夢に、一歩一歩近づいているような気がします。
名前はDallas (ダラス)。テキサス州のDallasです。
毎朝、庭に出てDallasに食事をあげ、遊ぶのが日課です。
庭で飼っているので、窓からダラスの様子が見えます。
一日中気になって仕方がない。

家のデッキから。

それにしても、何か気づきませんか?
そう。彼は痩せすぎています。
前の飼い主のAbuse。
怠惰な飼い方が、彼に大変なストレスと摂食障害を与えたそうなのです。
その状態で、彼は数年耐えてきました。
何の縁からか、私が保留地に着いたと同時にもらわれてきたDallas。
私は、辛い時間を過ごしつつ、この保留地にもらわれてきた彼が、
何だか、とてつもなく愛しく感じられます。
そうして、彼は、短期間ではありますが、
この日本からのリサーチャーの愛情を一身に集めることに。
仲良くなって、いつか背中に乗せてもらいたいので、
暇を見てはリンゴをあげて、ご機嫌とりをしています。


ふふ。笑。おかしな顔。笑。
デッキで本を読んでいると寄ってくるのは、
決して私に心を開いているからではなく、
単にリンゴが欲しいからです。
かなり可愛い。
「いつか馬に乗って保留地を縦横無尽に駆け回る」
という夢に、一歩一歩近づいているような気がします。
ワシントンDCより。
今回の滞在は、トュールリヴァー保留地→サンブルーノ(同)→ワシントンDC→
トュールリヴァー保留地
と、一か月をかけて、またまた長距離の移動になります。
ということで、今DCから書いています。

DCには、National Archives(国立古文書館)の本館があります。先週まで滞在したサンブルーノは、この支部ということになりますね。
元来、先住民政策は内務省の管轄でした。内務省は、保留地に「監督官」を派遣することで、中央から保留地の状況を監視する、というシステムをとってきました。
ということはつまり、内務長官や、インディアン局長から「保留地」に送られた手紙は、地方にあるサンブルーノの古文書館にあり、カリフォルニアの保留地から中央の内務省に送られた手紙は、DCの古文書館にあるというわけです。この両方をチェックしてはじめて、中央と地方のやりとりの真相が見えてきます。

それにしても、DCの滞在をたった5日間にしたとは、史料の量を甘く見ていました。終わりそうにない。思い返せば、前回DCでリサーチをしたのは、5年ほど前。、アメリカに住んでいたこともあり、確か一か月くらい滞在したと思います。
トュールリヴァー保留地に関してまとめられている15箱の史料と、マイクロおよそ10本、250枚の手紙(これは、ばらばらに保管されている)を前に唖然。
食欲がない今日この頃。。。。。。


トュールリヴァー保留地
と、一か月をかけて、またまた長距離の移動になります。
ということで、今DCから書いています。

DCには、National Archives(国立古文書館)の本館があります。先週まで滞在したサンブルーノは、この支部ということになりますね。
元来、先住民政策は内務省の管轄でした。内務省は、保留地に「監督官」を派遣することで、中央から保留地の状況を監視する、というシステムをとってきました。
ということはつまり、内務長官や、インディアン局長から「保留地」に送られた手紙は、地方にあるサンブルーノの古文書館にあり、カリフォルニアの保留地から中央の内務省に送られた手紙は、DCの古文書館にあるというわけです。この両方をチェックしてはじめて、中央と地方のやりとりの真相が見えてきます。

それにしても、DCの滞在をたった5日間にしたとは、史料の量を甘く見ていました。終わりそうにない。思い返せば、前回DCでリサーチをしたのは、5年ほど前。、アメリカに住んでいたこともあり、確か一か月くらい滞在したと思います。
トュールリヴァー保留地に関してまとめられている15箱の史料と、マイクロおよそ10本、250枚の手紙(これは、ばらばらに保管されている)を前に唖然。
食欲がない今日この頃。。。。。。


度量
なんだか、数日のブログを読み返してみると、毎日、順調に、エネルギッシュに、楽しく過ごしているような印象を受けることに気付きました。
ので、念のため、メモ程度に、後で忘れないように。。。。
追記。
先日、車の接触事故で、一日かなり落ち込みました。
相手のトラックと比べて、私のコンパクトカー。トラックは無傷である一方、私の車の右側のドアが見るも無残な状態に。。。。ゆっくり動いていた車同士がかすった程度であり、お互いすべて保険でカバーされるので、全く実害はないのですが、やはり車が凹むと、気分も凹みます。
それにしても、相手の運転手が、日本贔屓の、とてもよい紳士で。。。。
事故の直後に、「一体全体、どこに目をつけて運転してんのよ~!!」的なことを言った自分の度量の狭さに、またまた反省です。

ので、念のため、メモ程度に、後で忘れないように。。。。
追記。
先日、車の接触事故で、一日かなり落ち込みました。
相手のトラックと比べて、私のコンパクトカー。トラックは無傷である一方、私の車の右側のドアが見るも無残な状態に。。。。ゆっくり動いていた車同士がかすった程度であり、お互いすべて保険でカバーされるので、全く実害はないのですが、やはり車が凹むと、気分も凹みます。
それにしても、相手の運転手が、日本贔屓の、とてもよい紳士で。。。。
事故の直後に、「一体全体、どこに目をつけて運転してんのよ~!!」的なことを言った自分の度量の狭さに、またまた反省です。

National Archives, San Bruno
カリフォルニア州、サンフランシスコに近いベイエリアにあるサンブルーノ(San Bruno)からです。「ネイティブアメリカン研究奮闘記II」を読んでくれていた方であればお馴染みの場所ですが、ここは、ワシントンDCに本部があるNational Archives(古文書館:独立宣言書がおいてあることで有名ですね!)の支部で、私の分野としては、主にカリフォルニアの先住民に関するドキュメントを見ることができます。
すでに日本からArchivist にお願いしていた史料を出してもらい(古文書館では、自分で史料を棚から探したりすることはできず、すべてArchivistに出してもらいます)、一週間ほどこもって調査しています。今回は、前にも書いたように、自分の調査に加えて、現在保留地で進行中の「割り当て地」問題の資料も探さねばならず、集中、集中!
それにしてもここは、Davisでの大学院生時代、とても多くの時間を過ごした場所。懐かしい。最後にここに来た時は、まさに博士論文執筆の真っ最中で、いつも、論文の締切が迫っており、時間との「にらめっこ」の中で、史料にあたっていました。
1850年代から、保留地の設立に関連した、内務長官、インディアン局長官、サクラメント監督官、保留地エージェント、様々な人たちの手紙やレポート。。。。
その時は、「とにかく全部読まなきゃ!」という思いだったので、内容を味わう時間などありませんでしたが。すでにこの世にはいない彼ら(?)との付き合いが長くなるにつれて、再び蓋をあけて眺める自筆の手紙からは、なんだか、ずっとご無沙汰していた親類に会ったような、友人に見つめられているような、数年前は気が付かなかったような、執筆者の心の動きまで読み取れるような、そんな気持ちがするのです。また私は、彼らの生きた軌跡をたどることによって、生活費を稼いでいるわけで。。。笑。「いつもお世話になっています」という感じもあるかしら。。。
最後に来た後の数年間は、どちらかというと、保留地に滞在してインタヴューを集めたり、ひたすら自分の足で動きまわって史料を探し出す時間でしたが、こうして古文書に腰を落ち着けてみると、生意気ながら「歴史研究の原点」に戻ったような気がします。
ここで一週間ほど過ごし、次の滞在地DCへ。。。

すでに日本からArchivist にお願いしていた史料を出してもらい(古文書館では、自分で史料を棚から探したりすることはできず、すべてArchivistに出してもらいます)、一週間ほどこもって調査しています。今回は、前にも書いたように、自分の調査に加えて、現在保留地で進行中の「割り当て地」問題の資料も探さねばならず、集中、集中!
それにしてもここは、Davisでの大学院生時代、とても多くの時間を過ごした場所。懐かしい。最後にここに来た時は、まさに博士論文執筆の真っ最中で、いつも、論文の締切が迫っており、時間との「にらめっこ」の中で、史料にあたっていました。
1850年代から、保留地の設立に関連した、内務長官、インディアン局長官、サクラメント監督官、保留地エージェント、様々な人たちの手紙やレポート。。。。
その時は、「とにかく全部読まなきゃ!」という思いだったので、内容を味わう時間などありませんでしたが。すでにこの世にはいない彼ら(?)との付き合いが長くなるにつれて、再び蓋をあけて眺める自筆の手紙からは、なんだか、ずっとご無沙汰していた親類に会ったような、友人に見つめられているような、数年前は気が付かなかったような、執筆者の心の動きまで読み取れるような、そんな気持ちがするのです。また私は、彼らの生きた軌跡をたどることによって、生活費を稼いでいるわけで。。。笑。「いつもお世話になっています」という感じもあるかしら。。。
最後に来た後の数年間は、どちらかというと、保留地に滞在してインタヴューを集めたり、ひたすら自分の足で動きまわって史料を探し出す時間でしたが、こうして古文書に腰を落ち着けてみると、生意気ながら「歴史研究の原点」に戻ったような気がします。
ここで一週間ほど過ごし、次の滞在地DCへ。。。

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